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解説:女ふんどし



3.見世物としての女ふんどし


日常生活では女ふんどしは存在しなかったのではないか?という、なんともいやはや、これから生きていく力を失いそうな結論となってしまった「生活の中の女ふんどし」でした。それでは心機一転、見世物としての女ふんどしはどうだったのか・・・?ここではそれについて若干考えてみることにします。

●ふんどし+見世物とくれば、一番身近なものはやはり相撲ということになるでしょう。女ふんどしでも例外ではなく、かつまた女人禁制の土俵に女を上げるというタブー破りの興味もあり、見世物としての女相撲の歴史は古くからありました。

●前述の通り、日本史上、そして中国史上においても、最初に「相撲」の字が現われるのは女相撲においてでした。特に雄略天皇の記述では、工匠の猪名部真根の気を逸らせるためにふんどし姿の女に相撲を取らせたと書いてあります。それを見ても判るとおり、既に女相撲、いやここでは女ふんどしが見世物のひとつとして、しかも「工匠でさえ見惚れるほど魅力のある」見世物であったことが伺えます。これは更に「2-a.生活の中の女ふんどし」でも考察したように、女ふんどしが非日常的であるがために、十分見世物としての価値があったことの証左となります。

●雄略天皇の時代の前後においても、雨乞いのために女相撲を取らせました。これは女人禁制といわれた土俵で女に相撲を取らせ、それを天候を司る神様に見せつけることで怒らせて雨を降らせるという、換言すれば神様への見世物であったと考えてもよいでしょう。昭和の始め頃まで東北地方などでは、この雨乞いの女相撲が盛んであったようです。

●時代は下り、江戸時代には女相撲が興行として各地で流行ったという記録があります。ここでは通常の女同士の取り組み以外に、大女と小男、或いは盲目男と女の組み合わせ(座頭相撲)など、色々エロチックな趣向を凝らしたものが行われていました。
(⇒雄略天皇から江戸時代まで、一気に時代が飛んでしまいました。この間の時代の女ふんどし、あるいは女相撲については調査中です。また読者諸氏からの投稿、ご意見なども歓迎いたします。)

天童市八幡神社に奉納されている女相撲絵馬
女相撲絵馬
歴代女横綱
女横綱



●映画では大奥で女相撲を行うという設定のものがいくつかありますが(「徳川女系図」1968年東映、石井輝男監督)、果たして本当に大奥で女相撲が行われていたのでしょうか?

東映:「徳川女系図」より
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●明治時代は、江戸時代に盛んになった女相撲が引き継がれ、ひとつの見世物=興行として確立しました。しかもこの時の女相撲は江戸時代のように淫靡なものというよりは、むしろ今の女子プロレスに近く、淫靡さよりも力、技を真剣に競い合うものでした。場所も東北地方が中心となり、女力士も農家の女性が主体でした。この女相撲は昭和30年代まで続いていたようです。

●戦後においても一時期衰退した女相撲の復興の兆しがありました。これはむしろ戦前戦中の抑圧弾圧された暗い時代の反動とも言え、言論の自由が広く叫ばれるようになった中でのひとつの明るい動きともいえます。テレビ、写真雑誌などでは、時々思い出されたように女相撲が取り上げられましたが、ブームとなるまでには至りませんでした。それはひとつには、戦後言論の自由が再び一般大衆の中に取り戻され、各人の視点に基づく性の形態が自由に紹介され、なおかつそれが各種メディアの発達流布とも相まって広く詳しく人口に膾炙されるに及び、性の嗜好が非常に多種多彩に分かれ、また一部では限定的に特殊化(=フェチズム化)されてきたことにより、女相撲がもはや以前ほど特殊で淫靡なものとして受け入れ難くなってきたことによります。

●1980年代には東京新宿の某デパートの屋上で女相撲が流行ったことがあります。ビアガーデンの出し物のひとつとして女相撲が行われました。FB協会で視察しに行ったことがありましたが、当初は厚化粧と本格的なまわしの女力士に、余り色気を感じなかったことを覚えています。その後主催者側でも色々客寄せに工夫を凝らし、力士然とした女相撲よりもむしろ素人っぽい、普通の女性による女相撲という方向に転換しました。まわしも細く薄いふんどしになりました。その中で有名な女力士といえば、ご存知女横綱こと中村京子女史です。

●1990年にはアイドルの宮沢りえがカレンダー用のグラビア写真でふんどし姿を披露し、かなり話題となりました。これはふんどしとはいえ、後姿のみであり、また身体に装飾品などをまとい、むしろ健康的なお色気という路線でした。当時の宮沢りえは「リハウスの白鳥麗子」の印象が強かった清純派アイドルでしたが、それがいきなりふんどし姿となったのですから、マスコミが騒ぐのも無理からぬところでありました。

●またこの影響を受けて、宮沢りえ登場後の一時期、女ふんどしが流行ったことがありました。色々な雑誌で宮沢りえモドキの女ふんどしの写真が掲載されましたが、その多くはふんどし素人向け(?)のもので、「女ふんどしの通」を自負する専門家(笑)の間ではむしろ冷笑の的となった感がありました。

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●更に1990年代前半にはふんどしだけをテーマにした写真集が刊行されたり、現役女子高生による相撲を特集した写真雑誌、あるいは現役女子高生のふんどし姿ををモチーフとした写真なども出回りました。しかしそれも1990年代後半には徐々に下火となっていったのです。

・・・まるで女ふんどし年表のような感じになってしまいました。ここでは敢えて詳しく記述しておりませんが、実はふんどしは一部の愛好家、好事家の間では女の責め具の一種として使われていたのです。⇒4.SMとしての女ふんどし

1.  女ふんどしの原点
2-a.生活の中の女ふんどし
2-b.仕事着としての女ふんどし
3.  見世物としての女ふんどし
4.  SMとしての女ふんどし
5.  女褌について
6.  西洋の女フンドシ
7.  女ふんどしの危機(その1)
8.  女ふんどしの危機(その2)

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